昨日は母の日でした。
毎年、母の日は子供たちからお花をもらうことが多かったのですが、今年は手紙をもらい胸がじんわりあたたかくなるような時間を過ごすことができました。
忘れないように、この日のことを書き留めておきたいと思います。
子どもたちの手紙と、そこから見えた気持ち
息子からは、
いつも服をきれいにせんたくしてくれてありがとうございます。
ボクは、お母さんのオムライスがすごく好きです。
いつまでもげんきでいてくださいね!
という手紙と、ハートの折り紙。
そこには「うんでくれてありがとう」と書かれていました。

娘からは、
いつもやさしくしてくれてありがとう。
かわいいおべんとうつくってくれてありがとう。
またつくってね!!
だいすき。
という手紙と、
「せんたく りょうり おそうじ ありがとう」
と書かれた折り紙、さらにハート型に切ったスポンジまで。

私は普段、自分では子供たちに丁寧にやさしく接しているのかなと思うことがよくあります。
いそがしいときに話しかけられても「ちょっといま忙しいからあとでね」と言ったり、「なんでこんなにちらかしてるの!」と怒ったり。
でも、せんたく・りょうり・そうじ… 普段はもくもくとやって誰にも感謝されることのない家のことも、手紙を読んで、ちゃんと子どもたちは見てくれているんだとうれしくなりました。
普段たくさん怒っているのに「やさしい」「だいすき」と伝えてくれたこと。
「いつまでもげんきでいて」というメッセージ。
子どもたちのやさしさにとても気づかされると同時に、普段の自分の子どもたちへの対応に適当な部分があったことにも、少し恥ずかしくなりました。
そんな反省の気持ちもあったことから、昨日は私の心境も違う状態で子どもたちと接することができ、そこからいろいろな気づきがありました。
ピンクの折り紙で泣いた娘の気持ち

娘は最近、折り紙に夢中で、毎日何個も作っているほどです。
家の中に折り紙がどんどん増えていったので、整理のためにファイリングを提案しました。
すると、シール帳ならぬ “折り紙帳” がパンパンに2冊もできあがるほどに。
そんな娘が昨夜、突然「ピンクの折り紙がない」と泣き出しました。
聞くと、折り紙に夢中で、好きなピンク色の折り紙ばかり使ってしまい無くなってしまったとのことでした。
いつもの私なら、そこまで聞いて「同じ色ばっかり使うからでしょ。もっと考えて使って。」で終わっていたと思います。
でも昨日は、手紙をもらったことで気持ちにゆとりがあり、続けて話を聞き出すことができました。
ちゃんと聞いてみると、単純に好きな色がなくなるのがつらい――
ではなく、
「好きな色でうまく作りたいのに、難しくて失敗してしまう。
だから何度も好きな色でやり直してしまい、すぐに無くなる。」
という理由でした。
娘はYouTubeの折り紙チャンネルを見ながら、少し難しい折り紙にも挑戦しています。
でも「好きな色で作りたい」気持ちが強いから、まず好きな色で折る。
失敗してくしゃくしゃになる。
また好きな色でやり直す――
その繰り返しで、好きな色だけがなくなっていたのでした。
そこで私は、
「新しい折り紙に挑戦するときは、まずあんまり好きじゃない色で練習してみたらどうかな。
うまく折れたら好きな色で作ればいいよ。」
と伝えました。
娘は「うん」と納得し、涙もすっと止まりました。
お風呂で聞いた娘の言葉
その後、お風呂で娘の泡をシャワーで流しているときのこと。
娘が突然こう言いました。

まぁちゃん(自分のこと)はね、やさしくされたらやさしくすることにしてるの。
いきなりなんだろう? と思いつつ、「それはいいことだね。」と返すと、

さっきお母さん、まぁちゃんが泣いていてもやさしくしてくれたでしょ。だから、それがうれしかった。
その言葉を聞いて、ハッとしました。
折り紙の話のとき、いつもの私なら、忙しさやイライラで強く言ってしまっていたかもしれない。
もしそうしていたら、娘のこの言葉を聞くこともなかったと思います。
そして、もしかしたら、“やさしくされたから、やさしくする” という娘の言葉は、その日、自分で頭も体も洗ってから「お母さん、ながして」と呼んでくれた行動こそが、娘なりの「やさしさのお返し」だったのかもしれません。
というのも、その日はめずらしく、いつもは私が全部洗ってあげているのに、娘が自分で頭も体もあわあわにして洗い終えてから「お母さん、ながして」と呼んだのです。
子どもへの接し方ひとつで、子どもが受け取る気持ちはこんなに変わるんだ。
そう感じた瞬間でした。
息子の「だらしなさ」の裏にあったもの
そして今朝は、息子についても新しい気づきがありました。
息子はとてもいいかげんで、忘れ物も多いタイプです。
絵の具セットも、持って帰ってきても何度も声をかけ、洗うのはやっと翌々日という状態。
昨日も、乾いても洗面所に放置していたので片づけるよう声をかけました。
その後、確かに洗面所からは無くなっていましたが、家の中を見渡すと絵具セットをなおした絵具バッグがそのままピアノの上にポンと置かれていました。
いつもの私なら「ちゃんと収納棚に片づけて!」と怒っていたと思います。
でも昨日の私は気持ちにゆとりがあり、少し立ち止まって考えました。
――ここに置いているのは、何か意味があるのかな。
そういえば息子は、習字道具なども “使う日より前” に持っていくことがあります。
以前、「当日忘れないように早めに持っていく」と言っていたことを、ふと思い出しました。
もしかしたら絵の具セットも、息子なりに “忘れないように” と考えて、朝の準備をするピアノの椅子のそばにあるピアノの上に置いたのかもしれない。
そう思って一晩、だまって様子を見ることにしました。
すると今朝、息子は何も言わずに絵の具セットを持って行ったのです。
やっぱり、息子なりに自分の忘れっぽい性格を理解して、早めに持っていく準備していたのでした。
息子の “だらしない=片付け忘れ” と決めつけて、すぐに怒ってしまっていたら、息子なりに忘れないようにと工夫していた行動まで、否定してしまっていたのかもしれない。
普段の様子だけで判断して怒るのではなく、一度立ち止まって冷静に考えたり、ちゃんと話を聞くことの大切さを、あらためて感じた母の日でした。
【まとめ】母の日に気づいたこと
母の日にもらった手紙。
娘の涙の理由。
お風呂で聞いた言葉。
息子の行動の裏にあった思い。
どれも、子どもたちはちゃんと見てくれていて、ちゃんと考えている ということを教えてくれました。
そして、私の接し方ひとつで、子どもたちの受け取り方は変わるのだと気づきました。
うまくいかない日もあるし、怒ってしまう日もある。
それでも、これからはもう少しだけ子どもたちへの向き合い方を大事にしたいと思えた母の日でした。

